3.11 あの日

folder_open一度しか通らない道

ご無沙汰してます。
もう早いものであの震災から4年。 今日は思い出話です。

当時私は宮城県の半導体メーカーで仕事をしていました。
「今日は順調だな 早く帰れそう。」

14時46分 そんな事を話していた矢先にあの大きな揺れが襲ってきました。

初めのうちはゆっくりした小さな揺れが続き30秒過ぎたあたりから地面がうねり始めます。
1分経っても揺れはおさまらず、さらに大きな揺れが続きます。

私たちは机の下に身を隠してましたが、壁が崩れ、天井が落ちてきた時は死ぬかもしれないと思いました。

揺れは3分位続いたと思います。とにかく長かった・・

揺れがおさまったのを見計らって外に避難しました。
地面には所々地割れが走っています。

そして3月上旬の宮城はとても寒かった。

あれだけの揺れでしたが、私の会社では一人の犠牲者も出なかったのが何よりもの幸いでした。

電気・水道・ガスは全部止まり、携帯電話も通じません。
当然仕事をすることは出来ないので、各自帰宅します。

信号が使えなくなた国道を通り16時頃住んでいたマンションへ帰宅しました。

その当時私はマンションの6階に住んでいたのですが、エレベーターが止まってるので階段がしんどかったのを覚えています。

部屋に入って最初の感想は
「しょうゆ臭い!」 部屋がめちゃめちゃなのは街の様子をみて覚悟してましたが・・・


揺れで冷蔵庫の中身が全部出てました。醤油や油も全部こぼれてます・・・
焦って写真ブレブレです。

ガラス容器はこんな時ダメです。全部割れました。


壁際にあった液晶テレビは部屋の真ん中へ。倒れなかったのが奇跡。
スピーカーは激しく倒れたようで・・・

ここからしばらく電気・水道・ガス・電話・携帯・インターネットが使えない状態が一週間以上続きました。

この時の私は災害に対する「備え」が全くなく水や電池の買い置きも無状態。
避難所で分けてもらったりの日々が続きます。

この震災で亡くなった方々に比べれば全然大したことない被害でしたが、備えは大事だと実感しました。

震災の教訓
私たちは地震を防ぐことはできませんが、地震に備える事はできます。

水・電池・カセットコンロ・カップ麺  ←こいつらはMUSTアイテムです。
どこの家庭でも常備すべきです。
お湯が沸かせると色々出来ます。アルポットもオススメ。
水も大事です。
ペットボトル一箱は常に置いておきたい。

夜は真っ暗になるのでLEDランタンもあった方が良いです。

食料は近くのスーパーで在庫品をタダ配ってくれました。
知らない人から分けてもらったりもして有り難かった。
こんな時人の優しさが身にしみます。 

自分の備えがあれば誰かを助けることが出来た筈です。備えが大事。

電気を使わない石油ストーブ
震災の時欲しかったのはこれです。
ファンヒーターしか持ってなかった私は電気が止まって使えず、毛布に包まって寒さを凌ぐしかありませんでした。

お風呂の水は捨てない
トイレの水も流せなくなり大変困ります。
こんな時お風呂に常に水を張っておけば、それでしばらくトイレを流すことができます。
私はこれも出来てなかったので、しばらく臭いトイレで用をたす羽目に・・・

ガソリンは常に半分以上ある状態をキープする。
震災時はガソリンが極端に不足して10L入れるのに6時間並んだ記憶があります。
ガソリンは常に半分以上残して置いたほうが良いです。

携帯の充電器
コンセントは使えませんが、モバイルバッテリーや車用の充電器はあった方が良いです。
震災時は携帯の電波が弱くなるので、バッテリーの減りも早くなります。

ちなみに災害時の携帯のキャリアはドコモが最強です。
当時私はauでしたが、震災の次の日には通話・メール共に完全に使用不能になりました。
SoftBankの友人は震災のその日から全て不通だったそうです。

ドコモに関しては通話はつながり難かったものの不通にはならず、メールやWEBはほとんどの地域で使えました。

これはバックボーンの違いです。災害時や山間部はドコモ一択です。
日本一周の際にもそれは強く感じました。

(でもドコモは高いので私はドコモ回線を使っているMVNOのみおふぉんです。)

震災時の街の様子

道路はヒビ割れマンホールが浮き上がってる。
これはマンホールが飛び出したと言うより地盤沈下だそうです。

震災から4年が経ち、私の住んでいた街は震災前の変わらない所まで復興出来たと思います。
しかし、沿岸部などの復興はまだまだこれから。

何か自分にできることをやって行きたい。

3.11 一生に一度あるかないかの体験でした。 犠牲になった方々の冥福を祈ります。

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