一番最初の記憶
・曇りの朝、マスクをした女の人に抱きかかえられ水槽のような箱に入れられた事。
母親に聞いた所、私は2,000gの未熟児で生まれた為、赤ちゃんの頃は保育器に入れられて育ったのだそうだ。
覚えている訳が無いとは言われるが、実際に今でもハッキリと女の人(看護婦さん)と水槽、曇り空の色の部屋を覚えてます。
恐らく生後すぐ~1ヶ月の間の記憶です。
↓今から40年前の物はほんとにただの水槽っぽかった。(画像はネットより拝借)
覚えているのはもしかしたら、保育器じゃなくて手前の箱か!・・・
それからしばらくは記憶が無いのですが、他にも
・縁側を這ってあるいた事(たぶん8ヶ月位?)
・昔家にいた牛の事。(1歳位)
・茅葺き屋根の昔の家の事(1歳位)
・家の建て替えの記憶(1歳半位)。
この建て替えの資金にするため牛は売られたそうだ。
・母方の爺ちゃんが亡くなった事(1歳後半位)
・初めての動物園(2歳位)
あとから記憶を作ったとかいう可能性も無くは無いですが、写真も何もないのに記憶だけがあり、それが爺ちゃん、ばあちゃん、母ちゃんに聞くと状況もぴったり当たってる。
周りの人にこの話をすると、決まって「なるほどねぇ」と言われます。
普通の人とちょっと違ったところがあるから納得なんだそうだ。
忘れてしまう記憶が多い中、ずっと残っている記憶・・
なんだかんだで小さい頃の記憶というのはいつまでも残っており、それにはなんだか深い意味が隠されているような気がします。
私は赤ちゃんの頃、保育器の中で人工のミルクを飲んで育ちました。
昼間母親は仕事の為、爺ちゃん、婆ちゃんと過ごした時間が長かった気がしますが、寂しいと感じた事は無く、大勢の家族に囲まれて幸せな日々でした。
こうして考えると赤ちゃんの頃の体験も大事で、今の自分の一部なのだと感じます。
こどもの心で見る
こどもの頃は見るもの皆、すべてが新鮮で新しい発見と驚きの連続でした。
それが大人になるにつけて、ものごとに名前を付けラベルを貼って色眼鏡を掛けて見るようになります。
最近思うのは物事の本質は見えるものだけではないと言う事です。
頭のなかの声を消して心を落ち着かせてありのままを見る。
心で物事をみると世界が変わります。
道端に生えているただの雑草も、頭で考えればただの雑草ですが、心の目、こどもの心でみれば素晴らしい生命力に溢れており、葉っぱのひとつひとつに自然の叡智を感じる事ができます。
子供の頃、言葉もわからないままにありのままを見ていた自分。
それを覚えている自分。
ものごとからラベルを外してもう一度心の目でみてみましょう。
きっと新しい発見がありますよ。
なんでこんな事を思い出していたかというと、最近ベビーマッサージ教室のホームページを作らせて頂いたからです。
ベビーマッサージ
この仕事をして初めてベビーマッサージという物を知ったのですが、赤ちゃんとのスキンシップって大事なんですね。
ホームページには色々と詳しく書かれておりますので、興味のある方は覗いてみてくださいませ。
このマッサージを受けた赤ちゃんも大きくなってからこのベビーマッサージを受けた事を覚えていて懐かしく話してくれるかも知れませんねぇ。
そんなお母さんと赤ちゃんとの架け橋になってくれれば幸いです。